「放育™」とは
- 井手麻子
- 3月6日
- 読了時間: 3分
すべてをよしとする放育。
そもそも放育とは何なのかお話しさせていただきます。

子どもに生きる力を持ってほしい。
自分らしく生きてほしい。
それが一番の願いです。
生きていくうえで変わらないことはありません。
生活環境、地球環境、社会情勢といったさまざままことが、子どもの意思に関係なく変わっていきます。
そのようななかで自分らしく生きていく力こそが、生きる力ではないかと思うのです。
わが子が、どんな環境にあっても、どんな人にあっても、どんなことをされても自分らしくあることができるなら、親として最高の幸せ得たことになるのではないかと私は思うのです。
子育てとは、わが子の自分自身に対する信頼感、自信、矜持を持ち続けることができるようの支援することです。
わが子を愛するのです。
無条件に愛するのです。
無条件に愛された子は、自分を信頼することができます。
無条件に愛された子は、自分の価値を疑うことがないからです。
逆に言えば、子どもを愛するのに、条件は必要でしょうか。
親のいうことに従順であったり、学校の勉強ができたり、協調性があって優しいといったことが愛される条件になるでしょうか。
多くの親は、そんなことはない!と思われるでしょう。
しかし、よく考えていただきたいのです。
大人と違って、子どもは言われたことを(自分の持つ基準で)選別するフィルターをもっていません。大人だったら、言われたことに対して、その人がなぜそのように言ったのかということを推測したり、あるいは、気にしない(捨て置く)ことができるでしょうが、幼児期の子どもはできませんし、児童期の初期の子どもには難しいことでしょう。
「お母さんのいうことをききなさい」
「お母さんを困らせないで」
「早くしなさい」
このようなことを母親が子どもに言ったら、子どもは、お母さんのいうことをきかないで、困らせる、早くしない子は愛されないと感じるのではないでしょうか。なぜなら、このようなことをいうときの母親は、子どもを無条件に受け入れていないからです。
もちろん、子育てにおいては、「早くしなさい」といったことも言わないとならないときもあります。そのときは、言い方を工夫する、あるいは、言わなくてもいいように環境を整えることで同じ結果を得ればいいでしょう。
生まれてきた子は、それぞれ個性があります。
それは、自分のなかに生きる力をすでに持っているからです。
生きる力は、外側から詰め込むものではありません。内側からひきだすべきものです。
内側からひきだしてあげれば、それこそがその子自身の唯一無二の生きる力になるのです。
子どもがみたものをどのように感じるのか、どう思うのかを子ども自身が感じる前に、大人が先に(大人自身が感じたことを)子どもに刷り込んではいけません。
大人は、子どもがどのように感じるか、どう思うか、子どもに任せるべきです。それは、親子であってもしかりです。
情報社会といわれて久しい昨今。
詰め込み教育は、学校の勉強だけでしょうか。
テレビ、雑誌、テレビゲーム、携帯ゲーム、そして、不用意な大人の接し方までが詰め込み教育と同じような結果をもたらしていると私は思っています。
なんにせよ、自分の心が動かないものは偽物です。
他人に刷り込まれた価値基準、外側からの詰め込まれた知識、こういったものは、自分で物事を考えなくするでしょう。
それこそ、じわじわと考える力を奪っていくのです。
私は、外側から(自分ではないもの)の詰め込みすぎで、自分を失っていく子どもを多くみてきました。しかも、その詰め込みを親自身が知らずにしていることも。
自分で感じ、心が動き、能動的につかみとったものが本物です。
だからこそ、そのまんま、ありのまま、すべてをよしとすることを提唱しています。
それが放育です。
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